大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌高等裁判所 昭和37年(う)293号 判決 1964年1月28日

主文

原判決を破棄する。

被告人懲役六月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

押収にかかる包丁(昭和三七年押第一〇五号の一)を没収する。

理由

本件控訴の趣意は、札幌高等検察庁検察官西田隆提出の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人林信一提出の答弁書記載のとおりであるから、いずれもここに引用する。

第一  控訴趣意(一)(事実誤認)及び(二)(法令適用の誤)に対する判断

一(1)原判決挙示の一ないし一七の証拠、被告人の当審公判廷の供述及び当審検証調書の記載を総合すると、被告人が丸谷東志春に対する本件傷害に出るに至つた状況は次のように認められる。すなわち、被告人は「やまたか新篠津食堂」の調理士として住込みで働いていたものであるところ、昭和三六年九月九日は午後一〇時半頃閉店して同店西側入口わきにある居室のベツトで就寝した。翌一〇日午前一時すぎ頃突然大きな音をたてて右入口の戸ガラスがこわされ、土工夫丸谷東志春、同小玉寿明の両名がひどく酩酊して大声をあげながら玄関内に入りこみ、被告人の寝室の前の板戸を蹴とばし、「おやじ出ろ」「酒を飲ませろ」等とどなつた。被告人は驚いて起き上り、「いまどき酒を飲ませろつて何んだ、時間を考えろ、帰れ、帰れ」と返答したが、右両名は口々に「おやじ、やれるか」「酒を出さなきや、金を貸せ」等の暴言をはくので、重ねて「いまは遅いから、酒は出ないから帰れ」といつて追い返そうとした。しかし右両名はなおも帰りそうもないので、被告人は、包丁でも見せれば逃げるだろう、もし相手がかかつて来るようなら包丁で防ごうと考え、ベツトの下に新聞紙に包んでおいた五、六本の包丁のうち一本(昭和三七年押第一〇五号の一)を取り出し、これをもつて部屋を出たところ、右被害者らは「やるのか」といい、まず前の方にいた丸谷がいきなり被告人の頭部を手拳で数回殴打してきた。このため、被告人は興奮と憤激の余り包丁を振り廻し、なおも殴りかかつてきた丸谷の胸部を突き刺したというものである。

(2)  原判決は、被告人が包丁を取り出した時期を丸谷から殴打された後と認定しているが、この点は、被告人が殴打されたという位置より包丁のあつた場所までの間隔(約一米三〇。当審検証調書)や被告人の供述の変遷に徴すれば、被告人の検察官に対する供述、したがつて(1)に認定したところがむしろ真相と考えられる。

又、原判決は、被告人は丸谷から殴打されて狼狽の余り、このままでは自分が殺傷されるかも知れないし、中にはいつて来られて金庫をあけられたり、女達をおどかされては大変だと考えて恐怖にかられたと認定しており、被告人の検察官に対する供述調書や原審公判廷の供述にはよくこれにそう部分があるが(当審公判廷の供述もほぼ同じ。)、しかし、その他の前掲諸証拠を総合すると、被害者らには前示(1)のような粗暴な言動があつたとはいえ、それとても結局において酒癖の悪い酔つぱらいの酒の強要にかかわるものであつたことは明らかで、この場合、被告人としてそれ以上にみずからの生命の危険を感じたり、金庫から金を盗られ又は女達に危害が加えられることまで予想したというのは誇張した弁解と思料され、措信できない。このことと前記包丁を取り出した際の心境等を併せ考えると、被告人にある程度の恐怖、狼狽の念が存しないではなかつたにしても、被告人が本件に及ぶに至つた内面の心理状態として重要なのは、むしろ被害者らの言動につよく刺戟され、ことに直接的には丸谷に殴打されたことによる興奮と憤激の念であつたと認めるべきである。

したがつて、当裁判所としてはこの二点において原判決と認定を異にする。

二  そこで、以上の事情の下に、被告人の所為と盗犯等の防止及処分に関する法律第一条との関係について案ずるに、(1)同条第一項の適用を受けるためには当の殺傷行為が防衛行為として相当なものでなければならないこと、被告人の本件所為が客観的に見て相当な程度を超えた過剰行為と目すべきことは原判決説示のとおりということができる。(2)次に、同条第二項は、同条第一項の場合の殺傷行為が右のように防衛行為として相当な程度を超え、過剰防衛に当るとされるときにも適用があるというべきことも、原判決と見解を同じくする(もつとも、本件においては、被告人が右の如く過剰行為に出たについては、被告人として自己の身体に対する危険((攻撃の強度))を実在するより過大に感じ、その意味で事態の認識において若干の錯覚もあつたと見る余地がないではないがしかしその認識したところを基準にしてもなお防衛行為としては程度を超えたものと認めうる。)。ただし、そのためには、行為者が恐怖、驚愕、興奮又は狼狽により相手を殺傷するに至つたことについて宥恕すべき事情の存することを要するものと解すべきである(大審院昭和一三年七月二九日判決、刑集一七巻六一九頁)。しかるに、原判決はこの第二項を適用することにより被告人を無罪としているので、果して右事情が存したかについて検討すべきところ、本件の始終を通覧するとき、当裁判所は次の点の存在を看過することができない。すなわち、本件は被害者らが酔余閉店後の前記食堂におしかけ、酒を強要したことに端を発したものであること前叙のとおりである。同食堂に居残つた者のうち男性は被告人のみで、被害者らを退散させるについて責任を感ぜざるをえなかつたことは理解できるけれども、被告人は長年調理士をしていて、酒飲みに対する応接の仕方は十分心得ているはずであり、機に応じた方法による説得を試みる余地はあつたと認められるのに、かえつて当初からややけんか腰で応答し、相手をさらに刺戟した形跡がある上、もともと威嚇のために用いる意図ではあつたとしても形勢次第では相手に対し殺傷の結果を招くおそれのある包丁をいち早く持ち出し、しかも丸谷から殴打されるや、このときみずから受傷した事実があつたわけでもないのに、すぐさま右包丁をもつて立ち向い、その手拳による攻撃を受けとめること以上に進んで振り回し、かつ同人を突き刺すという積極的な反撃に出た点である。したがつて、いかに興奮の余りとはいえ、被告人の本件所為をもつて「宥恕すべき事情」の下になされたものとは思料しがたい。

三  このようにして被告人の所為に対し、盗犯等の防止及処分に関する法律第一条第二項の適用があるということはできない。それゆえ、これに反し被告人を無罪とした原判決は、事実を誤認したか法令の解釈適用を誤つたかの違法をおかしたものであり、これは明らかに判決に影響を及ぼすものであるから、この点に関する原判決は破棄を免れないというべきである。

(中略)

第二  自判の内容

(丸谷に対する傷害)

被告人は、昭和三六年九月一一日自己が住込みで働いていた北海道石狩郡新篠津村第四七線北一一番地「やまたか新篠津食堂」の西側入口わきの居室に就寝中であつたところ、午前一時すぎ頃土工夫丸谷東志春(当時一九年)、小玉寿明(当時二〇年)が酔余右入口の戸のガラスを破壊して同店玄関内に侵入し、被告人の居室の板戸を蹴とばす等した上、執ように飲酒を求め、被告人の退去の要求にも耳をかさず、かえつて丸谷において被告人の頭部を数回殴打するに至つた。そこで、被告人は、右のような丸谷の急迫不正の侵害に対し、同人を排斥し、かつ自己の身体を防衛するため所携の包丁(昭和三七年押第一〇五号の一)を振り回し立ち向つているうち、興奮と憤激の余り防衛の程度を超え、右包丁で同人の右胸部を刺し、よつて同人に対し加療約八週間を要し肺損傷を伴う右胸部刺創を負わせたものである。

右についての証拠関係は、被告人の当審公判廷の供述及び当審検証調書を付加するほか、原判決挙示(一ないし一七)のとおりであるから、これを引用する。

(弁護人の主張に対する判断)

被告人の丸谷に対する傷害の所為は正当防衛に当らない。又盗犯等の防止及処分に関する法律第一条の適用を受けないことも前説示のとおりである。

(法令の適用)

被告人の所為(前認定の丸谷に対する傷害の点及び原判決が適法に認定した小玉に対する傷害の点)は各刑法第二〇四条、罰金等臨時措置法第三条第一項に該当するが、いずれも過剰防衛行為であるから所定刑中懲役刑を選択した上刑法第三六条第二項、 第六八条第三号により各法定の減軽をなし、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条、 第一〇条により重いと認める小玉に対する傷害の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で処断すべきである。しかるに、本件において被害者両名に与えた結果は重大ではあるが、かかる次第となつたのももとはといえば被害者らの非に由来するものであり、被告人の所為は過剰防衛に該当し、その動機に憫諒すべきものがあるし、その他被告人の年齢、境遇、被害者らに対し金銭の慰藉もなされていること等諸般の事情を総合するときは被告人に対する刑は懲役六月と量定するのが相当であり、なお刑法第二五条第一項により二年間右刑の執行を猶予すべきものと認める。押収にかかる主文掲記の物件は被告人が本件犯行に供したもので被告人以外の者に属しないから同法第一九条第一項第二号、 第二項によりこれを没収し、原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書にしたがい被告人に負担させない。

よつて、主文のとおり判決する。

検察官稲垣久一郎出席

(裁判長裁判官矢部孝 裁判官萩原太郎 中利太郎)

(原判決)

主文

被告人を懲役四月に処する。

ただし、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

押収にかかる柳刃包丁一丁(昭和三六年押第一三二号の一)を没収する。

本件公訴事実中丸谷東志春に対する傷害の点については、被告人は無罪。

訴訟費用中証人小玉寿明に支給した分は被告人の負担とする。

理由

本件公訴事実は、次のとおりである。

被告人は、昭和三六年九月一〇日午前一時過ぎごろ、北海道石狩郡新篠津村第四七線北一一番地株式会社やまたか新篠津食堂西側入口付近において、丸谷東志春(当時一九年)及び小玉寿明(当時二〇年)に対し、同人らが営業時間外であるのに執ように飲酒を求めたことを憤り、所携の柳刃包丁をふるつて

一、石丸谷の右胸部を突き刺し、よつて同人に加療約八週間を要し肺損傷等を伴う右胸部刺創を負わせ、

二、引き続き右小玉の右胸部を突き刺し、よつて同人に加療約五週間を要し肺損傷を伴う右胸部刺創を負わせ

たものである。

よつて審理するに、(証拠―略)を総合すると、次の事実が認められる。

被告人は、上田一男の経営する肩書住居「やまたか新篠津食堂」の調理士として住み込みで働いていた者で、昭和三六年九月九日の晩は平常どおり午後一〇時半ごろ閉店して同店西側入口わきの居室のベットで就寝した。当時は同店階下の座敷に会計係高橋ミツエ、女中川浪千代子ほか一名、階上に手伝いの女子四名が寝ていた。その夜遅く、翌一〇日午前一時すぎごろ、土工夫丸谷東志春、同小玉寿明の両名が、付近の小料理店「千鳥」で飲酒した後、ひどく酩酊して前記食堂に来て、西側入口の引き戸のガラス一枚をこわし、戸をガタガタやつて掛金をはずし、戸を開いて玄関内にはいり、「酒を飲ませろ」などと言つたので、被告人は玄関に出て両名を追い返そうとしたが、その際公訴事実のとおりの所為に及んだ。

右のように認められるのであつて、被告人は当公判廷で、包丁を振り回しているうちに被害者らに当つて刺さつたのであると供述しているが、前掲証拠一五、一六により認められる被害者らの受けた傷害の部位程度に照らし、右供述は信用することができず、被告人は被害者らの胸部を包丁でことさら突き刺したものと認めるべきである。

しかし、本件においては、正当防衛の事実又は盗犯等の防止及び処分に関する法律第一条該当の事実の存否が問題になるので、この点につき検討する。

前掲証拠一ないし三の被告人の供述及び各供述調書、五の証人小玉の供述、六の証人高橋ミツエの供述、八の上田の各供述調書、一三の実況見分調書、一四の証人岩間の供述を総合すると、被告人の本件行為の状況は次のようであつたと認められる。被告人が寝ていると、突然大きな音を立てて入口のガラスがこれ、前記のように被害者らがはいつて来て被告人寝室の前に来て板戸を蹴り、「おやじ出ろ」「酒を飲ませろ」「飲ませないなら金を貸せ」などとどなつた。被告人は驚いて起き上がり、玄関に出て見ると、被害者両名が玄関内に立つていたので、「時間も遅いからあす来てくれ」と言つて両名を返そうとしたが、両名はなおも「おやじ、やるのか」などと暴言を吐いた上、前の方にいた丸谷がいきなり被告人の頭部を手拳で数回殴打したので、被告人はろうばいの余り、このままでは自分が殺傷されるかも知れないし、中にはいつて来られて金庫をあけられたり女たちをおどかされては大変だと考えて恐怖にかられ、すぐ近くの寝室のベットの下から包丁(前掲証拠一七)を取り出して来て、右手に持ち、なおも殴りかかつて来た丸谷に対し、夢中で右包丁を振り回した末、同人の胸部を刺したところ、同人は玄関前に倒れたが間もなく逃げて行つた。その際小玉は入口から出ていたのである、今度は同人が食堂前に立つていたバス停留所標識の長さ二・三四メートルの木の棒を持つて来て、外に出た被告人に対し、この棒を振り回し、殴打する気勢を示してかかつて来たので、被告人は右入口前の路地で、同人を追い払おうと前記包丁を振り回して立ち向かつているうち、興奮の余り右小玉の胸部を刺した。

右の認定は、大体において被告人の供述(一部は供述調書)に従つたのであり、この事実について証人丸谷は全く記憶がなく、証人小玉もほとんど記憶しておらず、他に目撃証人はいないのであるが、前記証拠を細かに検討すれば、右認定に一致する範囲内では、被告人の供述調書は信用し得るものである。証人小玉は、自己が被告人に攻撃を加えたことを全く記憶しておらず、また同人がころんで「助けてくれ」と叫んだところを刃物で傷害されたかのような供述をしているが、同人は強度の酩酊の状態で本件傷害を受けたため、その記憶はきわめてもうろうとしたもので、正確なものとは認め難い。同人が助けてくれと叫んだことは前掲証拠一一の高橋良晴の供述調書により認められるが、これは本件傷害を受けた後のことであると認められる。

右の事実に基づき、まず被告人の前記丸谷に対する所為について考えるに、この所為は盗犯等の防止及び処分に関する法律第一条第一項第三号の「故なく人の住居に侵入したる者を排斥せんとするとき」において「自己の身体に対する現在の危険を排除する為犯人を殺傷したるとき」に該当するかのように思われる。しかし、同項の規定は、刑法第三六条第一項の正当防衛の範囲を拡張しているとはいえ、その定める要件を形式的に具備する場合には常に殺傷行為を正当とする趣旨とは解されないのであつて、具体的事情上防衛行為として相当と認められる範囲においてのみ、これを許容したものと解しなければならない。前掲証拠によれば、被害者丸谷及び小玉は普通の出かせぎの土工夫であつて、丸谷は酒癖が悪いが、両名とも犯罪的傾向を有する者ではなく、本件において、被告人その他の家人を殺害したり、あるいは強盗、強姦等の行為に及んだりするまでの危険のあつたことは客観的には認められないのであるから、丸谷が被告人を殴つて来たのに対して、同人の胸部を包丁で深く突き刺すようなことは、防衛行為として相当な程度をこえるものである。したがつて被告人の前記所為を正当防衛と認めることはできないのであるが、被告人は自己の生命、身体等に対する危険を実在するよりも過大に感じ、恐怖、ろうばいの余り防衛の目的で右行為に出たものと認められるから、同条第二項の適用があり、その責任を阻却するというべきである。同項は現在の危険の存しない場合、したがつて客観的には防衛行為でない場合について規定しているが、過剰防衛の場合にももちろん適用があると解しなければならない。(昭和三四年二月五日最高裁第一小法廷判決、判例集一三巻一号一頁は、傍論として当該事案につき過剰防衛であるとの判断を示したにとどまり、過剰防衛の場合には盗犯防止法第一条第二項の適用が排除される旨の判断をしたものとは解されない。)したがつて、被告人の丸谷に対する前記所為は罪とならない。

次に被告人の前記小玉に対する所為について考えるに、この行為は前記丸谷に対する行為に引き続いた行為であるが、これと態様を異にしている。すなわち、この行為に際し小玉はすでに屋外に出ていたのであり、再び前記食堂にに侵入しようという意思はもつていなかつたと認められる。棒で被告人にかかつて来たのも、侵入の手段だつたとは認められず、被告人に対する何かの憤激から、攻撃をして来たものと推認される。したがつて、右小玉に対する所為については盗犯防止法第一条の適用はないというべきである。そして小玉が長さ二メートル余の棒を振り回してかかつて来たことは急迫不正の侵害に違いなく、被告人の行為はこれに対する防衛としてなされたものとは認められるが、前掲証拠から推断すると、すでに丸谷が傷害を受けて退散した後のことでもあり、当時被告人が小玉に本件のような致命傷を負わせなければならないほど緊迫した状況にはなかつたものと認められる。被告人は逃避して助けを求めることもできたし、また包丁を示しておどす程度でも相手を退散させることができたであろう。したがつて、被告人の小玉に対する行為は、防衛のためやむを得ないと認められる程度をこえたものである。また、被告人が右侵害を受けた際、自己が殺害され又は重大な傷害を受けるほどの危険があると信じていたものとは認められないから、誤想防衛だともいえない。弁護人は、右丸谷に対する所為についても正当防衛又は盗犯防止法第一条第二項に該当する旨の主張をしているが、この主張は採用できない。(以下省略)(裁判官小野慶二)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例